グライダー・スポーツにおいて、日本とポーランドの関係はかなり早い時期から始まっています。国産グライダーが製造されなくなって久しいので、現在では機体の購入はもっぱらドイツ、アメリカ、ポーランド、チェコなどの外国からの輸入に頼っています。ポーランドは独自の設計思想で安価な高性能のグライダーを製造しており、日本にも数多くのグライダーが今までにも輸入されており、学生をはじめ社会人が飛行を楽しんでいます。
日本におけるグライダー・スポーツのジャンルにおいて、距離飛行については、比較的歴史も古く、海外で開かれる選手権に参加している日本人選手も少なくありません。一方で、グライダーの曲技飛行の部門はまだ新しく、1985年に今大会にも出場している加藤隆士選手が第1回グライダー曲技世界選手権(オーストリア)に出場後は、選手層も薄かったため、日本における曲技飛行の活動そのものが停滞しておりました。 |
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1993年ごろ、曲技飛行を志すパイロットが徐々に増えてきましたが、日本国内では体系的に曲技を学べる機会がなかったため、主にアメリカのスクールで訓練を受けていました。当時、北海道滝川滑空場で開催された航空イベントに、世界選手権常勝であったポーランドのイェージー・マクラ氏がデモパイロットとして来日したことをきっかけに、日本の曲技パイロットと交流を持つようになりました。
その後は、より曲技先進国であったポーランドに遠征し、ポーランド製曲技専用複座機FOXによるトレーニングを受けることができ、マクラ氏より難易度の高い技を同乗で習うことができましたので、パイロットの技量レベルも一気に向上しました。そして、数回の遠征の後、マクラ氏よりポーランドチームと合同での世界選手権への出場オファーをいただき、マクラ氏の類まれなご尽力のおかげで、選手としてはヨチヨチ歩きであった日本人パイロット5名が日本チームとして、1995年フランス・ファヤンスで開催された、第6回グライダー曲技世界選手権に参加することができました。当時、世界レベルの大会で、右も左もわからなかった日本チームでありましたが、マクラ氏を始め、ポーランドチームの選手やスタッフによる親身の指導のおかげをもちまして、悲願でありました世界選手権への参加を果たすことができました。さらに世界の技術レベルの高さに衝撃を受け、今後の日本チームに多くの課題を残したことも事実であり、その時の挑戦へのスピリットは今でも当時の日本チームメンバーにより受け継がれています。
また、1997年にトルコ・アンタルヤで開催された第1回ワールド・エアゲームにも日本から1名のパイロットを派遣し、その時もポーランドチームに受け入れていただきました。結果的に日本チームとして2回連続出場を果たすことができました。
2002年、ついに当時の世界選手権出場メンバーが中心となって、FOXの日本国内導入に成功し、曲技飛行に対する機運が全国的に高まってきました。FOXの導入者であるグライダーエアロバティックチームRED FOXは、その後、日本各地でデモ飛行を実施するほか、基本曲技飛行の講習会等を実施しています。
そして、この度、ついに日本国内でも今大会が開催される段階に成熟し、グライダー曲技競技飛行の歴史が華々しく開花いたしました。今回、長年にわたるマクラ氏の日本チームの育成、及びFOX導入にご尽力いただいた功績を讃えるため、マクラ氏の日本における活躍ぶりを視察に訪れるため今回同氏と同行する予定であるポーランド航空協会長カルピンスキー氏に、今大会優勝記念杯「ポーランド・カップ」の授与をお願いしましたところ、ご快諾いただきました。
「エアロバティック ジャパン in かくだ」では、この歴史的記念杯「ポーランド・カップ」をかけて、選手たちが華麗なる戦いを繰り広げます。
昨年のエアロバティックジャパンinかくだでは、ポーランドカップはTEAM REDFOXの手に渡りました。今回は誰が手にするのでしょうか?
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